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きまぐれにやってます

再現選手(パワプロ2020) 山口鉄也&越智大祐 

今回は育成選手から這い上がり

プロ野球史に名を残した名セットアッパーの

山口鉄也選手と、

山口選手と共に中継ぎとして活躍し

風神雷神」と呼ばれた

越智大祐選手を再現しました。

なお、能力は各選手のキャリアハイ

シーズン成績を参考にしています。

 

山口鉄也(2012年)

72試合登板 防御率0.84 3勝2敗5セーブ44ホールド

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高校卒業後、海を渡りアメリカでマイナー契約

ルーキーリーグで4年プレーしたという異色の経歴の持ち主。

帰国後、楽天と横浜の入団テストに不合格になったが

最後の最後で巨人の入団テストに合格し、

2005年に育成指名され入団。

2007年に支配下登録され、育成選手初の一軍勝利も記録する。

そして翌2008年から中継ぎに定着、

育成選手として史上初の新人王も受賞する。

速球、変化球、制球とリリーフに必要な要素を

全て兼ね備えていた上に、

球界屈指のタフネスさを武器に

プロ野球最長記録の9年連続60試合登板を果たし、

歴代2位の通算273ホールドも記録している。

巨人の黄金期を支え、生涯巨人を貫いた

まさに鉄腕リリーフだった。

 

越智大祐(2008)

68試合登板 防御率2.40 3勝3敗10ホールド

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 山口と同じく2005年にドラフト4位で入団。

2008年に1軍初登板を果たし、中継ぎに定着。

チーム最多の68試合に登板し、

150km/hを超える速球と高速フォークを武器に

奪三振101、防御率2.40と結果は残すも、

その一方で制球難が災いし、リーグ最多の15暴投も記録。

これはリリーフ登板のみの選手としては最多記録でもある。

その後も山口とともに「風神雷神」と呼ばれ

中継ぎの柱として活躍するも、

2012年に難病の黄色靭帯骨化症が発覚。

リハビリを続けるも一軍登板は叶わず、2014年に引退した。